誰を信じればいいのか分からない・・・

誰もが一度は二度は思ったことがあるのではないかと思います。

でも、そもそもこの言葉には前提条件があります。それは、誰かを信じなければならないという前提条件が。そう、別に聖人が近くにいるわけではないので、誰かを100%信じること自体が間違っているように感じています。

50%信じて50%疑う

他人を100%信じる人は痛い目を見てしまう可能性が高くなってしまうのではないかと思います。

私の場合、親であっても100%信じることはしません。何故なら、私の親も人の子なので、間違っている部分が数多くあるからです。完璧な親はいないはずですよね? 完璧でない親のことを100%信じるということは正しいのでしょうか? 間違っていますよね?

もちろん、正しい間違っているの問題でないことは分かりますが、実際問題として、親であっても他人を100%信じるということは自分が痛い目を見ても良いという考えを持っている人を除いて辞めた方がよいでしょう。

100%警察を信じた人の末路

警察が聖職者みたいに思われた時代もあったようですが、今現在、警察を100%信じる人っていないですよね? 所詮、警察もお国に雇われて働いているだけの人間です。警察をやめれば国家権力に守られることもなくなるので、ヘコヘコする必要も無い只の人間です。

警察の中にも犯罪を犯したり他人を傷つける人間がいますが、100%警察を信じてしまうと、「いったい誰を信じればいいのか分からない・・・」とショックを受けてしまうでしょう。

100%医者を信じた人の末路

医者が聖職者みたいに思われた時代もあったようですが、今現在、医者を100%信じる人っていないですよね? 所詮、医者の大半は親に医者になれと言われたから医者になるために勉強した人間の集まりです。

人の命を救うなんて大層なことを言いますが、ただ仕事だから仕方がなく手術をしている医者だって数多くいますよね。点数稼ぐために無駄な治療をする医者だっていますが、100%医者を信じてしまうと「いったい誰を信じればいいのか分からない・・・」とショックを受けてしまうでしょう。

100%教師を信じた人の末路

教師が聖職者みたいに思われた時代もあったようですが、今現在、教師を100%信じる人っていないですよね? 所詮、教師は学校の勉強しかできない只の人です。世の中を俯瞰してみることができる人の多くが、教師ってレベルが低い人が多いということにも気付いています。

教師は所詮、子供に国語や数学を教えてお国や学校から給料を貰っている只の人。クラスのいじめに加担しているクズや子供を虐待しているバカ教師だって存在していますが、そんな教師を100%信じてしまうと、「いったい誰を信じればいいのか分からない・・・」とショックを受けてしまうでしょう。

誰を信じればいいのか分からないのは当たり前

誰を信じればいいのか分からないのは当たり前です。何故なら、100%信じて良い人間なんて存在しないのですから。

誰かを信じなければならないという前提条件に惑わされないでください。50%信じて50%疑ってみると、他人を過信し過ぎずに済みますし、「誰を信じればいいのか分からない」なんて思わなくなるはずです。

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